人を育てるために、敢えてしていること

 僕の指導方法は、教えないこと。
教えてしまうと、あたり前だか、それを目指す。できないと、教えた方は腹が立つし、教わった方は、教え方が悪いとボヤく。できたとしても、教えた方は当たり前と感じるし、教わった方は満足して終わりか、次の課題を求める。
 これでは、教わった人は永久に教えた人を超えない。
実際に行動しながら、あーでもないこーでもないと試行錯誤してみる。それが一番大事。指導は近道だという人の気が知れない。近道を通った人が壁にぶつかった時にどうするか?答えは誰かに聞く。いつまでも誰かの教えを乞うようではいけない。
 
 教養という言葉がある。好きな言葉だ。実生活や試験などには活かされない知識。でもそれがその人を支えているのだと思う。誰も見ていないところでそっとでもちゃんと自分に向き合って自分自身を育てる。その力こそ、壁にぶつかった時に壁を乗り越える力になるのだと思う。
 教えないこと。それはとても大変なことでも、ある。教えたほうが簡単な場合もある。その瞬間伸びることもある。でも瞬間だけだ。そのあとはまた教えを欲しがるようになる。自分で考えないようになる。失敗したら人のせいにする。
 教えないことで自分と向き合う時間を与える。自分と向き合う時間が長ければ長いほど、自信がつく。自分の頭で考えて欲しいからこそ、自信をつけて欲しいからこそ、教えないという指導方法を取っているのだ。