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令和元年9月号序文

 9月1日に亡き祖母の四九日の法要を終えました。これで天国で亡き祖父と仲睦まじく過ごしていることでしょう。両親もホッとした様子で、こちらもホッとしています。家の周りの雑草たちも気のせいかゆっくりしてくれているように感じています。

 と、ホッとしているのもつかの間。実は母が怪我をして入院しています。転んで右足大腿骨の骨折で全治2ヶ月。今年中の復帰は絶望的になりました。もともと元気な母なので復帰は速いのでしょうが、秋の収穫は彼女無しで行うことになります。これも修練と考え、家族一同、そして親類の方々にお手伝い頂きながら、皆様に美味しい新米とリンゴをお届けします。

 

 毎年、夏になると奥様の高校時代の恩師H先生に会いに行っています。毎回大きな発見があるのですが、今年も大きな発見がありました。いつもH先生とお話ししていると、素直な考えを口にしている自分に驚いていたのですが、その理由が今回分かりました。それは、H先生が私のことを認めてくださっているからでした。先生タイプの人間によくある、評価する目で見ていないのです。だから私はH先生に対して素直な意見を口にすることができたのです。

 

 自宅に戻り、フリスビーの場面で適応してみました。先生の立場に自分を置いてみたのです。学生との会話のたびに、まずその人を全面的に認めて、その上で話を聞いてみました。するとその学生から、スルスルっと心の声が出てきてくれたのです。これにはびっくりしました。人は認められることで素直になれるのです。

 

 農作物も同じかもしれません。認められることで、より美味しい実をつけてくれるのだとすると、篤農家がどうして篤農家かがわかってきます。作物と会話しているのです。その会話を通して、彼らの状態を知り、作物は美味しくなるのでしょう。昔、父にも同じようなことを言われたことを思い出しました。何事にも共通項ってあるものですね。

 

 今月はまた暑くなるそうです。自分たちの体調管理をしながら、作物と向き合ってきます。皆様に美味しい秋をお届けするために。(とか)